2018年07月05日

東播FJ反省会

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7/1は東播FJ実行委員会集合しての反省会であった。
場所は加古川のLiveHouse"OHANA"。マスター門積さんのご厚意による。

さて、6/3の東播FJの運営は大変スムーズであった。2会場開催はまだ2年目であるが
その運営のやり方はしっかりしたもので混乱なく終えることが出来た
観客動員数・2/3階の2会場の盛況感ともに予想を超えて東播FJの定着感を
見ることが出来た。前日含め反省点はあまりないとの認識であった。

ところで、このようなしっかりした企画と運営をどこまで続けられるのであろうか?
反省会の会話とは離れて、6回まで終了した個人的な心情を整理して色々な観点から
記載してみたい。


@このような企画は、まぎれもなく”市民音楽活動の発表の場"の提供である

市民音楽の先輩として、オーケストラや合唱や太鼓などがある。これらは脈々と引き継がれて
時代を超えた普遍性を持った活動になっている。それは各々の音楽の歴史が長いこともあろう。
各々の音楽を愛する人たちが緊張感を持てる"発表の場"というものを継承してきたといえる。
一方、日本におけるフォーク(アコースティックギターを中心とした音楽)は音楽歴史でいえば
たかだか、50年弱だ。 東播FJに至っては6年目。
これから先も市民音楽の先輩たちのように継承・継続が可能なのか?
音楽そのものは個人から3人程度で奏でることが出来てしまうためか、今のところ、音楽は各個人
に閉じているように思える。それがこの音楽の特質なのか?
同様に、3人程度でも演奏する音楽がある。Jazzやブルーグラス。音楽の共通的な一体感は
フォークにはない世界と見える。

 
合唱やオーケストラやそしてJazzやブルーグラスのように社会から
の受容性が継続的に得られる
というポジションにどのようにして持ち上げていけばよいか?
これは、活動の継続しかないのであろう

A市民音楽はその活動に一定の品格そして音楽規範が必要

人に聴かせるといったことを目標の一つとするなら、当然一定の品格は必要であろう。
例えば、お祭り気分になりすぎて飲んだくれた後に演奏するなどあってはならないと考える
自ら戒律的なルールを課して本番に臨むというのはスポーツでも芸術でも同様であろう
音楽を生活の糧としていながら、「酒を飲まないと演奏しない」人もいる。
その人は、知名度に甘えた演奏活動家であり決して芸術家とは言えないと思う。

音楽の規範はどうか? オーケストラも合唱も、Jazzも規範となるものがある(例えば楽譜に
沿って音楽の基本を固め、演者の創意工夫で訴えるものを作り上げる)
一方、フォークのような大衆音楽はリファレンスとなるものが本質的に存在せず、自由である。
厳しく言えば曖昧である。従って、演奏評価は感覚的である。
けれども音楽性といった観点から見れば、リズム・メロディ・ハーモニーといった音楽要素が満足
されたものほど感動を与える。
規範という面では演奏者の経験に依存していると思う。経験を積み重ねる努力が求められる。

B市民音楽としての客観性

公共の場を借りて、イベントをアナウンスして、様々な人(店舗・会社)の協賛や後援を得て
開催するという事自体、社会性を帯びており、社会の中のイベントとしてその姿勢は問われる。
協賛をお願いすることは"集金"ではなく変わらぬ応援を得るのが目的
後援に関しては、後援申請と事後の活動報告を伴い、イベントが社会的に見て意義あることを
表明して理解を得る努力が必要

また、協賛頂いた方々にはイベントに於いて目に見える形で感謝を表すことが必須である
それはパンフレットへの記載のみならず会場での映像による紹介とかホームページでのバナー
広告掲載であったりする
これらのことは音楽活動とは本質的に異なり、社会の儀礼的な行為の継続に当たる


Cイベント運営のための管理事項

出演者管理(連絡先・パンフ用写真・エントリーシートへの完ぺきな記載・音響構成、参加費、
昼食数、懇親会参加数などなど複数回のやり取り)は大変な仕事になる

様々なアクションの工程管理はぬけが出ないようにするため必須な事項

イベントTシャツの発注と追加・変更・キャンセルなどは毎年一定の作業になる

出演者の役割分担計画はその方法が定まったとはいえ計画は大変な作業である

パンフレット作成はコンテンツ(出演バンド情報や写真、協賛者の情報など)のフォローが
大変な作業である。

ホームページは今年は対応を控えたが、かなりの作業を伴う

 

実行委員でいくつかの作業は分担するも、企画段階や事後の整理段階では誰かが
踏みとどまって目配りしつつ丁寧に推進していかなければ成立しない。
その役目は、会長である自分が過去6年間やってきた。(これは自慢ではなく)
東播FJを一人前のイベントに仕立てていくため使命感を持ってやってきた。
しかし、多くのことを抱えすぎたとの反省がある。
「現会長が元気なくなったら、東播FJそのものは消滅した」というのでは、積み上げたものが
消滅してしまい、「これではこの音楽は前述の市民音楽の先輩たちに、はるかにおよばない」
「結局、独りよがりの活動(音楽)なのか」となってしまわないか?

また、出来るだけ企画を軽くしたほうが継承できやすいのではないか?とも考え
これまで積み上げてきた様々な項目のいくつかを無くしてみてはとも考える一方
そうすればするほど、「市民音楽としての客観性」を失っていくというジレンマもある

 

【今後について】
今後も、継承され継続していけるイベントにすると考えた場合、自分はいつまで貢献できるのか?
6回の実績により、前日・当日事項は実行委員たちでこなせるようになっている。
一方、上記で記載した事前・事後の各作業は綿密であり丁寧さが求められ、一定の努力と
かなりの時間消費を必要とする。従って、それが継承されることが理想である。
継承できるムードが形成されなければ、イベントが終了になっても仕方がないのかもしれない。

【フォークジャンボリーの先輩たちは今どうしている?】
@浜名湖フォークジャンボリー
数年前に会長が若返り、ゆっくりであるが新陳代謝は進んでいる。一方、イベントは広域化・
拡大化して2日間、50バンド参加の日本最大のフォークジャンボリーとして成長し、今年も計画
されている。活発な企画と活動で退化の雰囲気すらない。今年ですでに15回を迎える。
A西三河フォークジャンボリー
一日で20バンド程度参加と最初からのコンセプトをキープし今年8回目を終了。地域定着感がある。
実行委員長は東播より若かったとの記憶がある。内面は色々な問題を抱えつつ、それを克服して
乗り越えてきているのだと想像する。

双方、客層やステージの考え方は東播FJとかぶる。一方、予算の桁が違い、協賛の嵐である。
そういった予算運営に少し疑問を持ちつつ、先輩FJのやり方が王道なのか?と自問自答したりする。


・・・・・東播FJを継承継続する形を再度各委員で考える時に来ていると思う。



posted by ladybug at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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