2017年07月10日

金野慎君を偲ぶ

大学時代に7人の"白いトロッコ"なるグループ名で音楽活動をして
1975年8月での解散コンサートで金野慎君はバイオリンで数曲サポート参加してくれた。

1976年3月にメンバーそれぞれが社会人になりグループ活動を終えた。
ところが、大学院に進んだ僕は、大学4年になった金野君と2人で"新星"白いトロッコを
結成し音楽を続けることになった。

その当時、アマチュア音楽のプロへの登竜門としていくつかのコンテストがあり、
”全国フォーク音楽祭”の予選に応募。予選は札幌・旭川・函館・帯広で行われ5組が
北海道大会に進んだ。
5組の中で北海道代表として選ばれた2つが、”白いトロッコ"と妻が所属していたバンド"Fizz"
日比谷音楽堂で開催された全国大会は10バンドが集まった。Fizzは作曲賞を受賞。
残念ながら白いトロッコは無冠。
舞い上がっていた僕はすごく落胆したのだけれど、金野君は淡々と一連の出来事を楽しんでいた。


↓全国フォーク音楽祭北海道大会(1976年5月15日) 札幌中島スポーツセンター
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↓全国フォーク音楽祭全国大会(1976年6月6日) 東京日比谷公会堂
プラカードを持っているのは"ふきのとう"細坪さん

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その後、北海道でいろいろな演奏の場が増え、金野君との濃い音楽活動が始まる。

金野君は、僕と同期の札幌西高卒。
西高校で音楽大学に進んだ女性バイオリニストがいたが、彼女よりずっとバイオリンの腕は上。
だけれど、早くにお父さんを亡くし、残念ながら音楽家の道を断念し、先生の道を選んだ。

あふれるばかりの音楽才能は、白いトロッコの活動でいかんなく発揮された。
バイオリン・ピアノ・ギター、どれを弾かせてもそつなく、しかも巧い。
僕は、2人でプロを目指しても良いと思っていた。

金野君のバイオリンの腕は周知のものになっていた。
おりしも、札幌テレビでお世話になった竹田ディレクターの急死により開催された追悼コンサート。
竹田さんゆかりの北海道出身プロ(ふきのとう・松山千春ら)や白いトロッコ・Fizzが参加した際
ふきのとうから年末にかけて行う北海道ツアーコンサートへのバイオリン参加のオファーがあり金野君
は数曲をステージサポートした。
ただ券をもらって客席から見た札幌公演での彼の雄姿に僕は大きな感動をもらった。
(因みに竹田ディレクターは歌手松山千春の育ての親である)

↓1976年8月29日 倶知安公民館にて
(北大フォークソング研究会・倶知安高合同主催「長い長いフォークコンサート」)

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↓1976年6月? 札幌テレビでのラジオ番組で公開収録
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さまざまな活動を経て1年後、金野君は教員になった。
それでも、音楽活動は続けた。西高同期で初代"白いトロッコ"のメンバーであった加藤が
札幌に帰ってきて3人で活動するようになった。

↓1977年6月5日 北大講堂にて(北大祭)
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その頃から、僕は音楽の道を目指すことに焦りを感じ始め、そして金野君と加藤とぎくしゃく
するようになった。
今考えれば、自分の道を選びきれないだらしなさを金野君と加藤のせいにしたのだろう。
札幌の飲み屋で喧嘩別れのようになってしまって、それ以降音楽で交わることはなかった。
その後、お互い社会人になって新婚の時に金野夫妻と初代白いトロッコメンバーの菅とお嫁さん
と札幌のピザパーラーで一度だけ会って、近況報告をし合った。

そのあとも、金野君とは年賀状の交換をしていて、
・先生同士でバンドやっている
・同じく初代白いトロッコのメンバーの菅が一緒に活動している
などわずかな文脈で「皆、音楽が好きなんだな」
と安心したものだ。

そうこうしているうちに、皆還暦を迎え、新たな人生が始まっていた


そして、7/7に菅から飛び込んできたいきなりのメール
「昨日の早朝、金野慎君が亡くなりました。。おなかの癌にくるしんだあげくの旅立ちでした。
金野君とは、死の直前までバンド仲間でした・・・・」

僕は、そのメールで今までの金野君と菅の音楽活動を一気に想像し、そして金野君に二
度と会えないことに愕然とした。

還暦とは、二回り目の人生を行うスタート地点と考えたなら、
「いままでどんな活動をしていた?」
「楽器は何をやっている?」
「これからも音楽するんだよな。一回三木で演奏しないかい?」
「そうだ、札幌での演奏の機会に呼んでくれよ」

・・・・・いろいろ楽しい会話と時間を共有できたはず。

亡くなったという事実からいろいろな後悔と残念な思いが湧き出ている。

「自分が元気にしているから知り合いも元気」とかその逆もない年齢なのだ
会える人には会う機会を作り、これまでの空白の40年以上を語らいあうのが良い。

そんな思いが、訃報からずっと駆け巡っている

いつか、線香をあげさせてほしい。そして白いトロッコ時代の一部始終を知っている
奥さんの久美子さんとも話をさせてほしい。

金野慎君
安らかに旅立ってほしい。そしてこれまでお疲れさまでした。


↓1976年7月18日 函館公民館ホールにて
(北大水産学部"腐汚苦集団"主催コンサート「第11回ひとりぼっち」)

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posted by ladybug at 10:44| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記